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by 大津正大

■出発の日 【2005年2月24日(木)】
今回のチュニジア旅行は、国際アロマニスト協会として「香りの研修」を行うとともに、協賛する「第1回チュニジア・日本文化交流際」に参加することが目的でした。

東西文化と歴史の国「チュニジア」は、国際アロマニスト協会と深いつながりをもつ、名門芳香商「ケミリー家」の故郷です。

2月24日(木)の夜、私たち一行は、新東京国際空港を飛び立ち、乗り換えのパリ・シャルルドゴール空港へ向け、機上の人となりました。

■チュニジア共和国に到着 【2005年2月25日(金)】
パリで約4時間の待ち時間を経て、首都チュニス空港に降り立ったのが、午前11時(現地時間:以下同じです)でした。

Japan Night 2005のポスターが貼られたバスの窓チュニス空港におり立つと甘い香りがしました。日本の空港は味噌と醤油の香りがし、韓国の空港ではキムチの香りがすると聞いたことがありますが、これがチュニジアの香りなのでしょうか?

空港を出ると、今回のメインイベント「JAPAN NIGHT2005」のポスターが貼られまくったバスに乗り、早速カルタゴ遺跡とシディ・ブ・サイドを見学しました。

シディ・ブ・サイドのドアは鮮やかなブルーで、白い壁とのコントラストがとても美しい街並みです。

「鳴呼、これがチュニジアンブルーか」と感激しながら巡っていると、あちこちで猫を見かけます。

どいつもこいつも日本の猫よりスリムで、凛々しい顔をしています。カメラを向けたら、「なに撮ってるだこのやろう」という顔をされたので、撮るのをやめました(笑)。

そして、青い窓と白い壁、シディ・ブ・サイドの町並みみんなでカフェ・デ・ナットに入り、松の実がどっさり入ったミントティーを飲みました。

チュニジアではポピュラーな飲み物で、清々しい香りと甘い味が、とても美味しく感じられ、幸せな一時を過ごせました。

夜になり、現地のスタッフによる、歓迎レセプションが行われました。かつて大金持ちの別荘だったという「ESSARAYA」レストランは、美しいタイルの絵でいっぱいでした。

日本大使館より、大使代理の方々も見えられたので、かなり緊張しましたが、イチジクのカクテルを痛飲しリラックスできました。

料理は、特にフェンネルのサラダがおいしかったです。そして、デザートが大変甘かったことは、とくに印象に残っています。


■アロマテラピー展を開催 【2005年2月26日(土)】
朝食にオレンジジュースは欠かせません。でも飲み過ぎに注意!ケミリー園子先生は、「アロマテラピー完全マスターBOOK」のチュニジア香り紀行に、オレンジジュースを「胃が荒れてしまうほど堪能した」と書かれています。

確かに朝食のジュースで、私も胃が荒れたような気がします。しぼりたてのジュースは想像以上に胃にくるものなのですね。

皆さんも飲みすぎないように注意していただきたい。

話は変わりますが、ケミリー先生の知り合いで、元チュニジア大使館の料理人が、今はチュニジアに帰国し、このエル・ハナ・インターナショナル・ホテルの料理長になっていてました。

朝食の時、偶然ケミリー先生と再会し旧交を暖めると、昼食には、先生好物のクスクスと、「ジャパン、チュニジア」の名を抱いた大きなケーキがでてきました。

旧交をあたためる二人。日本・チュニジア友好!どこでどんなドラマがあるか、分らないものですね。

昼間の予定だったアロマ展が、諸般の事情で夜になってしまいました。そこで、あまった時間を利用して、チュニスのメディナに行くことにしました。

ある土産物産屋で、香水瓶を2個買おうとしたら「アメリカン20ディナール、ジャパン、フレンド!11ディナール」と言われました。

事前にガイドのワセルさんから、私が選んだサイズなら2個4〜5ディナール位だと聞いていたので、早速値切り交渉をします。

フランス語会話集の、「まけて下さい」の所を何度も指さすが、6ディナール以下にまけない。側にいた協会員の加藤優子さん(仮名)に頼んで、「5ディナールOK?」と言ってもらったら、「OK〜(^_^)v」となり一安心。

いずこの国の男性も、女の子には弱いらしい。値札がない店では万事こんな調子で、だまされるのが楽しいのかもしれないと思いました。

大盛況だった、アロマテラピー展。夕方になり、会場のチュニス市立劇場に戻りました。18時過ぎ開場すると、次から次へと人が入ってきて大盛況の予感。用意していたアロマ展の説明のビラが直ぐに無くなってしまい、コピーを取りに走ることになりました。そして、戻ってみるとさらに人が増えていて、またすぐに無くなくなってしまう、まさに嬉しい悲鳴の連続でした。

今回筆者は作品を出さなかったので、ビラ配り以外はほとんど突っ立っていただけでしたが、それでも現地の人々の熱気を感じることができ、大変有意義な時間でした。

アロマ展と同時に行われた、舞台公演も覗いてみました。こちらも大盛況で、3階席まで人が入っていました。やはり、2002ワールドカップで日本と戦って以来、日本文化への関心の高まりを感じさせます。

私が受けた印象ですが、チュニジアの人はとてもフレンドリーで笑顔が素敵でした。特に子供の笑顔が素敵で、その笑顔をカメラに納めようとしたら、緊張したのか、笑顔がひきつってしまったのが、とても素朴で好感が持てました。

アロマテラピー展の作品は、アロマギャラリーのページをご覧ください。


■ケロアンなどを観光 【2005年2月27日(日)】
この旅行で最大の目的であった、アロマ展の開催を無事に終え、参加者はやっと緊張感から解放されたようです。さてここからは、観光を楽しみながら、香りも楽しもう。

旧市街メディナの風景荷物をまとめて、世界遺産でイスラム教の聖地ケロアンに向かう。途中ローマ時代の水道橋や陶器で有名なナブール、地中海リゾートにして香りの本場ハマメットを観光する予定です。

ケロアン着が遅くなったので、いくつかの観光地を明日に回し、この日はメディナを散策しました。ここで初めてラクダを見ましたが、生で見るラクダはかなり可愛いという印象。

さらにケロアン名物のマクロウドという甘〜い菓子を食べました。皆は1個で十分だったようですが、私ははまってしまい、3個も食べてしまいました。甘党にはたまらない菓子です。

この日泊まったホテル、「ラ・カスパ」には、ハマム(浴場)とマッサージがあるので、早速体験することにしました。少し残念だったのは、時間の関係で、マッサージは1人15分程だったことです。

市街のお菓子屋さんからは、甘い匂いが…。水着に着替えると、「風呂(湯にはつからない)とミストルームに10分程いなさい」と言われました。そして、体を洗い汗をかき、10分たつとマッサージの開始。

何かのオイル(説明してくれたのだが言葉が分らない)を使い、ふくらはぎから背中、腕、肩とほぐしてくれました。あとで他の人に聞いてみたら、どうも各人の凝っている所を、念入りに施術していたようでした。仕上げにもう5分浴場とミストルームにいて終了。

時間は短かったですが、今日1日分の疲れはとれ、スッキリしました。今度来る時は、もっとじっくりとやってもらいたいと、ちょっと注文をつけておきましょう。

■ドズールへ 【2005年2月28日(月)】
朝5時30分頃、礼拝の呼びかけの声「アザーン」で目覚めました。イスラムの国に来たという実感が、ひしひしと沸き上がりました。

9世紀半ばに建てられたグランドモスク、5000平方メートルの広さをもつ大きな建物です。この日は、まず昨日見る予定だった、グランドモスクとシディブサハブ霊廟を観光しました。一言で言うとグランドモスクはでかい!シディブサハブ霊廟はタイル絵がきれい!

シディブサハブ霊廟ではお清めにオレンジフラワ−(ネロリ)ウォーターを手にふりかけてくれます。この香りのためか、次のスフェトラ遺跡までのバスの移動は、眠くて仕方ありませんでした。

ところが、スフェトラ遺跡に到着すると、その眠氣を打ち消す大迫力の遺跡に大感激。なんだかため息が止まりませんでした。

昼食後、チュニジア最大のオアシス、トズールに向かいました。窓を眺めると、段々景色が変わってきて、ラクダや小さいオアシスが見えてきます。トズールの町は、日干しレンガで幾何学模様が描かれていました。

ここでオアシス巡りのカレーシュ(馬車)に乗りました。乗り場でバスの運転手さんに料金の交渉をしてもらい、1人5ディナールで乗車できることになりました。(途中でオアシスの説明をする人に、別にチップを渡す)

カレーシュに揺られ、チュニジア気分。オアシスを馬車で巡るのは、実に気持ちいいものです。私が乗った馬車の馭者(ぎょしゃ)は、英語が話せないらしく、ずっと黙っていて無愛想な印象でした。ところが、途中突然馬車を止めて降りると、路傍に咲くアーモンドの花をとってくれました。

実は愛想のあるオジサンだったのです。

今日のホテル、「アブ・ナワス・トズール」は独立したバンガローのような客室です。着いたときには日が暮れていたので、暗くてホテルの中で迷子になってしまいました。

部屋にたどり着いたときには、涙が出そうになり、少々嫌な氣分になりましたが、部屋の中はとても素敵だったのですぐに気分が戻りました。

■列車での旅を満喫 【2005年3月1日(火)】
観光列車の旅に出発進行〜!この日は、パリ・ダカールラリーで走るような、4WD(最近はAWD)車で移動することになっていました。私はケミリー先生、IAA協会員の加藤優子さん(仮名)、光浦はる子さん(仮名)と一緒の車に乗りました。運転手のモハメッドさんは、私たちの名前を覚えてくれましたが、とても発音がしにくそうでした。

でも、なぜか「ユウコ」だけは発音しやすかったようで、悪路では「キヲツケテ、ユウコサーン」と声をかけていました。その他大勢の私らは、「キヲツケテ、ジャパニーズ」で統一されてしまったのは、ご愛敬でしょう。

そして、メトラウイで観光列車レザー・ルーシュに乗りました。「トンネルを抜けると雪国だった」は、川端康成の名作ですが、ここは「トンネルを抜けると渓谷だった」という感じです。実に美しい。途中フォトストップがあるので、降りてその中に立つと、さらに感動が深まります。

グランドキャニオンのようなミデスの渓谷観光列車を下車すると、再び4WD車に乗り、チュニジアのグランドキャニオン「ミデス」を観光しました。そして、眼下にベルベル人の旧村が広がる、タメルザ・パレスホテルで昼食をとりました。眺めは最高でしたが、私はどうしても1つ書いておきたいことがある。

「デザートのナツメヤシのムースは死ぬほど甘かった。本当に死ぬ!」

タメルザの滝、山岳オアシスのシェビカを観光し、塩の湖(雨期ではないので塩の砂漠という感じ)を通り、クサール・ギレンまで、サハラ砂漠の中を200キロ4WD車飛ばしまくりました。途中おどろいた事は、ひたすら地平線の砂漠に、突然のカフェ(しかも3軒)。へぇ〜、へぇ〜、へぇ〜……と、80へぇ、差し上げます。

三軒目のカフェで休憩をしました。ここのトイレがすごい。いや、トイレ自体は穴があるだけ、トイレの建物の向こうははてしない地平線なのです。どのくらいすごいかというと、トイレの前で記念写真を撮ってしまう位です。

この日はバンジーキャンプに泊まりました。エアコン、シャワー、トイレ付きの豪華テントは、居心地も雰囲気も良かったのですが、生憎の曇り空だったため、星があまり見えなかったのが残念でした。


■砂漠でラクダ 【2005年3月2日(水)】
この4WD車で、砂漠をぶっ飛ばしました砂漠の朝はめちゃくちゃ寒い。外にでると、昨夜見えなかった月が見えました。今朝はラクダに乗る予定。間近に見るラクダはやっぱり可愛い。ラクダに乗って、砂漠の日の出を見るのは最高にいい気分です(砂煙は最悪ですが)

三度4WD車で砂漠をかっとばし、山の頂上のベルベル人の村、タメズレッドでバスに乗り換えました。ここのカフェのティーは、アーモンドがたっぷり入っていて、とても美味でした。

マトマタに着き、穴居住宅(観光地ではない本当の民家)で石臼を挽く作業を見物し、手作りと思しいパンと、刻んだミントの葉が入ったミントティーを頂きました。パンは美味、ミントティーも少し渋かったですが、とても美味しくいただきました。

ローマのコロセウムに勝るとも劣らないエル・ジェム遺跡昼食はスター・ウォーズの撮影が行われたホテル・シディ・ドリスです。魚のすり身スープのショルバ、揚げ餃子のようなブリック、メインにクスクス、デザートは再びマクロウドとチュニジア料理の定番(らしい)すべて美味しく頂戴しました

マトマタからエル・ジェムまで250キロのバスの旅。今朝から景色が砂漠や山岳だったのに、旧にオリーブ、アーモンド畑、普通の町並みに変化したので少々混乱しました。エル・ジェムのコロセウムから、町の景色を眺めてリハビリをしましたが、どうもまだ混乱してる感じでした。

寝れば治るだろう。この日は、ポート・エル・カンタウイのアブ・ナワス・ディアル・エル・アンダルスです。チュニジアで1、2を争うリゾート地だけあって豪華。豪華すぎて混乱がひどくなりました。

■再びチュニスへ 【2005年3月3日(木)】
沿道に茂るオリーブの木やってしまった大寝坊、8時発なのに目が覚めたのが7時40分。「混乱のせいだ!」大騒ぎで準備をし、なんとか出発に間に合いました。

この日、先ずは、スースのグランドモスク、リバト(砦)を見物。リバトの塔に上がるとメディナや港が一望できます。らせん階段は、かなり目が回りますが、上ってしまえば一見の価値がある眺めです。

その後、カルタゴに再び戻り、昼食をとりました。ここで今回の文化交流の記念に役所からチュニジアを代表する花である、ジャスミンを形取ったブローチを頂きました。

昼食後は、世界一のモザイクコレクションが見られる、バルドー博物館を見学しました。世界一というだけあって、モザイクはどれも見事、ため息が出てきます。玄関マットのようなものに、「OMNIA TI BI FELICIA」と書いてありました。

バルドー博物館に展示のカルタゴ美術品「あなたが幸せでありますように」という意味だそですが、一度でいいからこんな科白を言ってみたいものです。

その後、初日に泊まったホテルに戻り、各自自由行動。私は、スーパーマーケットに土産を買いに行きました。安い!感謝!唐辛子等のペーストハリッサやマクロウド、そして自分用のミネラルウォーターと、マクロウドを買いこみ大満足。

そしてメディナへ。2度目なので雰囲気にも慣れとても楽しい。そしてまたあの店に行きました。女の子がいなくても、オッサンに勝つ。オッサンは私のことを覚えていましたが、いざ勝負!結果は、たぶん勝ったと思います。

オッサンは「アメリカン・・・」の手を使ってきましたが、なんとか2ディナールのキーホルダーを1ディナールにまけさました。でも、本当に勝ったのだろうか?まあいいや、楽しいから。

■楽しかったおもてなし 【2005年3月4日(金)】
現地最終日。

この日は、出発まで自由時間の予定でしたが、在チュニジア大使の奥様からお誘いがあり、日本大使館公邸でお茶を頂きました。奥様はとても気さくにお話しをされ、とても楽しいひとときでした。

チュニジアンドアの大使公邸の前でそんななか私は、緊張しまくりで、ティーカップを持つ手が震えいました。

しかし、お茶会が終わると一気に緊張がとけ、昼食をとるホテルに行くまでヌボーンとしていました。今まで、イロイロなところでミントティーを飲んできましたが、この昼食が最後になり少しさみしさを感じました。

そしたら、目の前に今までのミントティーのグラスの何倍もある、大きなコップがでてきました。中にはミントティーがたっぷり入っています。チュニジアのミントティーは、日本人の感覚からすると、かなり甘い感じがします。甘いのを、小さいグラスで頂くから、美味しいのでしょう。

病気を気にしつつも、結局全部飲んでしまいました。

そしてチュニス空港。いよいよチュニジアを去るときが来ました。

ちょっとお疲れですが、無事帰国しました飛行機の窓から下を眺め、だんだん離れていくチュニジアを見ると少しさみしく感じました。「新婚旅行はチュニジアにしようかな」、少々気が早いが率直な感想です。(その前に、相手だろう!byウエブ管理者)

乗り継ぎのパリ空港は大雪で、2時間半遅れで日本に着きました。

楽しい旅でした。

そして私は、美味しいチュニジア料理の食べ過ぎで、増加した体重を減らすために、ダイエットにとり組む日々をおくることになったのでした。

(お終い)


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